話は2月に、さかのぼる。
来年卒園を控える娘を持つ父(以後、やるパパ)として
永らくお世話になった保育園へ何がしかの貢献を果たしたく
保護者会役員への立候補を書面で申し立てていた。
保護者懇談会が行われる折、その結果と引継ぎが行われるという。
ので当然、出席である。
働きながら育児に家事に、と多忙な皆さんである。きっと立候補者は自分ひとりぐらいなモンだろうと高をくくっていた。
ところが蓋を開けてみれば、同じ気概の方が他に2人もいらしたのだ。
なんだか和んでしまう。
こんな皆さんとの仕事は、きっと素晴らしい成果物を生むんじゃないかしらん!
などと浮足立っていたのも束の間、なんと、この学年からの枠は1名だと言う。
報酬が発生する訳じゃないボランティアに
なんだ、その、つまんねー縛り。
手を挙げた「有志」みんなでやったらいいんじゃないのか。
などと、メラっとしたのも束の間パート2。
今度は「卒業アルバム委員の方も・・・」と、前任の方(おそらく)から勧誘の声がかかった。
即断の方向転換をすることにした。
「んじゃ、僕はそっちに回ります!」
「卒業アルバム委員」通称「卒アル委員」
この表現に潜む「罠」を知っていたからだ。
理由は長くなるので省くが、
この表現だと
「卒園アルバムを子供達のために楽しくワイワイ作りましょー」な会
で
「思い出いっぱいの素敵なのが出来ましたー!パチパチパチパチ」なゴール
を、イメージしがちだが
実は「アルバム」制作にかかわる仕事がメインでもなければ、ゴールでもない。
実際の正式名称は
「卒園委員会」
つまり
「園児保護者としての立場で、卒園に向けての一切の準備を行う委員」
園児にとって、また園にとっても「卒園」のゴールは「卒園式」である。
一方、「保護者としての立場」にとっての「卒園」のゴールは、「卒園式」の先にある。
園や先生方に対する謝恩の場。
つまり「謝恩会」「茶話会(さわかい、と読む)」であり、
保護者の立場から先生方をお招きして、謝恩の場を設ける訳だから、
運営は保護者ということになる。
司会進行はおろか、飲食のセッティングから余興の企画、園への寄贈品などなど
全ての企画運営を託されるのが
「卒アル委員」と、ゆる~く表現された「卒園委員」の実態だ。
卒園アルバムは、その終わりに配られる、いわば「引き出物」に過ぎない。
やるパパは、そこを熟知していたが故に手を挙げることにした訳である。
卒アル・サバイバル・ハック! その1
こうした「卒園系委員」を運営する場合、以下に挙げるスキルを持つ者は、
どんなに忙しかろうと(そんなもん保育園の保護者ならお互い様だし)、
どれだけシャイであろうと(いい大人が逃げる理由にはならん)
挙手もしくは他薦で「牽引役」として強制参加させるべし。(亭主も巻き込め!)
1.デジタル・ツールに習熟した方
(SNS、アプリは勿論、サーバサイドまで目が効けば文句なし)
2. 画像編集系ソフトウェアに熟練した方
3. 映像制作系ソフトウェアに熟練した方
4. 音響系に習熟した方
5. マーケティング / プロジェクト管理 に習熟した方
6. マイクを持って人前で話すことに抵抗のない方
幸い、やるパパの場合、自身の本職が全てに直結しているために一人でこなせるが
複数人いた方が負荷が減るし、効率も上がる。
全部揃わなくとも、1, 5, 6 は、牽引役の絶対条件と言っていい。
こうした委員には、それぞれが小規模でも多方向の企画の調整・準備・調達など、おおよそイベント運営の1実行委員会ほどの物量の作業と負荷がのしかかる。
なので、スキルを持った牽引役は、少なくとも1人は必要になる。
そうでないと、他の委員メンバーへの負荷と混乱がとんでもないことになってしまうからだ。
肝心なのは
「やれる者がやれる事に、力を注ぐことで、誰かに無理な負荷をかけずに、すばらしいゴールと成果物にたどり着くことができる」
ということ。
そして何より
自分の持てる力が
自分たちの子供のため、
その子供たちを大切にしてくれた園や先生方のため、
しいては
その子供たちを育てるために働いている保護者の、誰かのため。
になるのなら、
少し睡眠時間を削って、白目剥くくらい屁でもねーわ。
そう手を差し伸べてくれる「スキル持ち」の保護者が増えて欲しいわ。
いや、そうじゃないな。
冒頭の役員に立候補された方たちと同じ有志も、きっといらっしゃる。
「卒アル」なんて表現で濁さず
業務の流れを説明したうえで、上記募集要項をもって
スキル持ちの保護者を募集することから、はじめなくちゃ。
来年はそうしよう。
これも「卒園委員」の仕事だろう。
きっと誰かが手を挙げてくれるはずだ。
そんな訳で、我が「卒委」も本日から、いよいよ始動。
どうか
良いものが築けますように。
いやいや、祈ってどうする。
やれよ。お前がな。俺がな。白目むいてな。